和して同ぜず

若いころ、私はともかく人の話を聴かない人だった。
耳は貸すが、結局は自分の心情で決めるのだから、聞いていないようなものだった。
誰かといても一人だった。
祈るようになってから少しづつほどけていったけれど、やっぱり頑なで自立心が強く、人に助けを求めるのが苦手だった。

なんだかどんどん痩せてきたので食べるようにしたらすぐに太ってきた。
でも、食べて脂肪がついても、歪んだ身体の歪んだ場所に脂肪がついているようで健康的な感じではなかったので
また食べることに気を付けだしたら痩せてきた。
そうこうするうちにまた左肩が痛くなり、指も痺れるようになってきた。
不安はないけど、ともかく重い痛みがあってしんどかったので、昨日は会社を休んで整体にいってきた。
姿勢のゆがみが原因であることは感じていた。
客観的にみていただいて、この先問題がおきない身体にするために何をすべきかを教えてもらった。

アウターマッスル(体を動かす筋肉)の凝りをほぐし、

骨盤が立つようにし、

インナーマッスル(体を支える筋肉)が働くようにする

この3ステップが必要とのことで
しばらく通うことにした。
鍼灸も行ってみたいのだけどね、、、お金がね、、。

で、振り出しにもどるのだが、
会社員てべつに人の話が聞けなくても、あの人はああいう人なのね、くらいで、仕事さえできればなんとかなったりするけど、
自分で何かやっていくとなると、そうはいかない。
世の中で生きていくのにプライドとか、頑固とかいらないのである。
よほどの特技があれば別だけれど、そういうので武装して生きるのもどうかと思うし。
そもそも、言いたいこと言ってやりたい事やってそれで死ぬとき笑っていけるの?って思うと、
やっぱり自分ひとり裕福になって何不自由ない暮らしができてもそうはならない。
結局自分を守るため、だけなら、辛い人生になるだろう。

神様はもともと一人(無限大)だったのに
ある時突然光を分けて有限の世界を作った。
それはなぜかというと
「みんなが喜んでいる姿を見たかったから」なのだそうだ。(五井先生、談)

だから神の分霊(わけみたま)である人は、本心ではそれを望んでいるのである。
それに気づいた人が自分の良心に従って行動するとき、初めて喜んで死ぬことができる。

大西つねきさん@れいわ新選組は東日本大震災でボランティアをやっていて、自分の生き方を変えた。
最後に喜んで死ねるように、「絶対に世界の経済の仕組みを変えてやる」、と思ったそうだ。
すごい人だ。

↓長いけれど読んでね。大西つねきさんの話。

大西つねき氏(れいわ新選組)の演説を文字で読む 現代社会が抱える金融システムの不条理

私はずっとずっと祈ってきて、今でもこれが私の道だと思っているけれど、
日陰にいてはいけないのだとやっぱり思った。
人のためになることをしたいと思いながら何をしていいのかわからない人達もたくさんいる。私もそうだった。
祈ることは人のいのちを生かすこと。良心に目覚めること。
自分の生活のために生きていても良心は喜ばないということ。
人間が喜びを持って生ききるにはどうすればいいかを、伝えなければならないと思う。

先日祈りの会で、いつも私の後ろに座る人が、痩せっぱなしの私を見て
「全然戻ってないじゃん!」と声をかけてきた。
彼女はオーラが見えるそうで、痩せすぎるとおかしなものがよってくるからだめだよ、と以前声をかけてくれたのだ。
で、お浄めしてくれて
「なかなか頑固(=消えてゆかない)だねー。でも悪いものじゃなくて、今まで詰まっていたものが抜けていくみたいだね。
まぁ、そのうち良くなるよ」と言われた。
自分が何も言わなくても感じてくれる人がいるのは嬉しくて、
今の人の都合に流されているペースから降りたくなって、
昨日は会社を休んた。
今日も満員電車に乗りたくなくて、遅刻していく。

彼女は出会う人に自然に世界平和の祈りを伝えている人で、そういうことが自然にできる人なのだ。
彼女が祈りの話をすると、相手の守護霊さんがとても喜んでいるのがわかるそうだ。
で、彼女の言う「詰まっていたもの」=私の頑固な心の癖、人を拒む癖、のような気がして、
身体を壊すことでそれにやっと気付けたという話。
なんでも力んでやってしまうから、身体を痛めてしまったのだ。
私の中にある力む癖が取れていくのではないかと思う。

山本太郎さん@れいわ新選組が
「自信を持って、自分は生きていていいんだ、と胸を張って言えますか。人に助けを求めることができますか」
とおっしゃっていたことが響いたのだと思う。
まだ私の中にあるこだわりに気づかせてくれた。
無理に思い切るつもりはないけれど
やっぱり今の、自分を壊す生活サイクルから離れないといけない。
自分を壊す思考パターン=地球を壊すパターンでもあるし。
 
ここ数年、いろんな方々に出会い、出会えてよかったと思う人に出会えて
人間も捨てたものじゃない、と思えるようになった。
私も、会えてよかったと思われる人になりたい。
まだまだ死ねません。

人が喜ぶこと。
今の世界のサイクル「(どうでもいいものを)作る→壊す」には乗りたくない。
喜ぶ=儲かること、では私はない。
そんな小さな生き方をしてもつまらない。
そう勘違いしている人に、「本当にそれでいいのか?私はそうは思わない」と問いかける。
いままでもしていたけどね。
力まずやっていきます。

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