バトル・ロワイヤル

昔、そういうタイトルの小説があった。
映画化された。
全国の中から一つの高校だけが選ばれて、代表の生徒が孤島に隔離されて殺し合う話。
ルールでは生き残った一人だけが島を出ることができるのだけど、
作中では、「殺し合い」という選択をしなかった主人公ともう一人が、島を出ていく…じゃなかったかなー。
(だれも殺さなかったかどうかは覚えていない。ゲームを遂行する大人=ビートたけしさんを殺した?ような気もする)
どういう理由だったか知らないけれど、こんなゲームが国の主導で実施されているという設定。
あまりに奇怪で、なんでそんな制度があるのか、とか理解?できなくて、
本は読んだし映画も見たけど、また読もう、見ようとは思わなかった。

今思うと作家はこの国の閉塞感、狂気を伝えたかったのだろう、と思う。
この国では今、顔を見るのもいやな連中が国を動かしている。
自分たちの都合のために国民に真実を知らせない。そして諦めて選択さえしない人たち。
肉体のいのちはとられなくても、生きにくい、いつ死んでもいいいや、みたいな国になっている。
心の中にある閉塞感は、リアルも作品も変わらない。

設定が奇抜すぎて、幼い人には残酷なシーンしか伝わらなかったかもしれない。
でも私自身が成長したおかげでそう感じるのかもしれないか、
作家の真意を汲み取ることが、今の人ならできるかもしれない。
「進撃の巨人」も残酷な話だけど、スケールが大きくて魅力があって、多くの人に支持されている。
巨人とか立体起動装置とか、リアルにない世界だから真似する人もいないしね。

残酷な姿であってもこれらの作品は、
明確にではなくても、世界の狂気を受け取り、変えなきゃならないという良心に人を目覚めさせている気がするな。
そうだといいな。

この、主人公と一緒に島を出ていく留年生(たしかこのバトルに再度参加するために、反逆するために留年した人)の役を山本太郎さんがやっていた。
彼は作中で「良心に従って生きるようにしてるんだ」と語った。
作品については詳細は覚えていないけど、このセリフだけは覚えている。私に影響を与えた言葉。

今の太郎さんにピッタリだね。
この作品も今の彼を作ったのでしょう。
彼はきっととても謙虚なので、状況や人々から学ぶことができる。
美しいなぁと思います。
学ばせていただきました。ありがとう。大好きです。
ずっと見守っているからね!

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