健康法 その後(2)

16時間食べない健康法。3日目。
おなかの調子がとてもよい。そして細胞が柔らかくなるような気がします。
目覚めが気持ちよい。体もしゃきっとする。
燃焼している感じが、ちょっとしんどいけれど。

ただ、解禁の時間になると、反動で普段の1.5倍くらいがつがつ食べます。
美味しいとか、そういう文化的な感性が無くなってしまった。もっと本能的に生きるために食べている。
何を食べてもそんなに美味しくない。よろこびがない。
それが少し寂しい気がする。
おなかがすいている状態の心地良さを知れば、自然と長続きするのだろうけれど、
この心地よさは肉体的なもので、心で感じるものじゃない。
だから、ちょっと違和感がある。

食べることって人間にとっては、肉体維持のためだけでは、もはやなくなっている。
和食も思いやりあふれた文化だものね。

そんなわけで少し方向転換して、「好きなものを好きなだけ好きな時に食べる」をやってみる。
食べることは必要なことだけれど、一日三度食べる必要もなし。少しの量でもOK。
体によいことで、心にも楽しいポイントを探してみる。

なんでか私はストイックに頑張ってしまうところがあって、でも三日坊主で終わることが多い。
それもやっぱり消えてゆく姿なのでしょう。
食べることでも何でも、「安心して好きな時に好きなだけ食べて(やって)いいんだよ」と言われたら、きっと無茶しないでこだわりなく、楽しむことができるはず。
健康法とか仕事とか、今私がしなきゃと思っていることは、不安が原動力になっている気がする。
だからまずは不安の雲を消すこと。
結局、私が私らしくあるためには祈りしかないんだなぁ、と思う。

自分が楽しめることを、生活を考えず、自然にプレゼントする。
そんな心境に早くなりたいです。
必要だと思っていること=肉体に関わることがほとんどで、本心にとって必ずしも必要じゃない。
肉体さんは大切だけど、やっぱり肉体への囚われを無くすことが、私の望んでいる心境なのかもしれません。
普遍的に大切なものは、多分心惹かれること。
必要なことを極力手放して、理屈じゃなく時間が止まってしまうような、心惹かれることに誠意を尽くしたいと思います。

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