真の全託とは

真の全託とは、自分の本心を信じること。

ただしよく巷で言われる本心とは次元が違います。

この世界でいう本心とは、
「私は○○好きでぇ、▽△が嫌いでぇ、なんとなぁくこんなことがしたいですぅ」
というものですが、
これは業の現れを掴んでいるだけです。

私も私の本心がくっきりわかっている訳ではないですが、
自分の役割というものは自覚しています。
というか、中途半端でしたが、改めて自覚しなくてはならないと思っています。

私の役割に私の趣味嗜好は関係ないのですね。

実際、コンピュータの仕事を20年以上やっていますが、
論理的思考が向いているとはちっとも思っていなかった。

人間の本心(霊体)は七つの波動域にありそのどこかに属していて、それが本来の性質となりますが、
生まれ変わりして他の6つを学ぶそうです。
で、私は感受性が豊かな方だと思うのだけど、私がコンピュータの世界でこれまでやってきたのは、やっぱり霊性を磨くためなんだろうなぁと、今は思います。
しんどいけれど、本心が決めたことならば仕方ないね。

つまり、すべて神=自己の本心が決めて、
業もちょうどよいタイミングで現して消してくださっているのだし、
自分磨きのためにやっているのだし、
文句をいうのは的外れなことなのですね。

「自分探し」もいらないですね。
人間は常に進化しているもので、決まった形があるわけではないのだから。

決めたら成る。
覚悟したら成る。

三日坊主でもいい。そんなことで自分を責めないで、また仕切り直してやればいい。
続ければ本当になる。

たから全託というのは、
宗教団体に全財産譲るような次元のことではなく、
徹底的に神を信じること=徹頭徹尾自信を持つこと。
そう悟りました。

神は愛であり、自己の本体であり、今ここにいる私を不幸にするはずがない。
そう信じて、潔く人事を尽くしましょう。

May Peace Prevail On Earth!

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