昨日は泣いた、今日は怒った。(1)

ああ、掴まったんだな、と思った。

私はとても生真面目なので、職場で求められることが重くてしんどくなってしまうことがある。
私で大丈夫なのか、プロジェクト・会社に迷惑をかけないか、等々。
女性だし馴れない人とは話せない性質だから、周りもどう扱っていいかわからないのだろう、チームに馴染めない、自社の人間にも馴染めない。
やっぱり私は会社に向かないのかなーなんて考えていた。

昨日は仕事中も涙が出てくるし、もうダメかなと思って、次期社長Hさんに愚痴を聞いてくれメールを送った。
すぐに飛んできてくれた。
Hさんは名古屋に来るとここの職場にも来て、自社のメンバーと面談する。
裏表の無い人。だから嘘が通じない人。
面談とは言っても私の場合、私は聴く方で、たいていHさんが自分のこと、自分のうちのこと、会社のことなどを話して(6~8割方下ネタ)スッキリして?帰っていた。
今回はちゃんと話を聞いてくれた。自分の悩みも話してくれた。
自分の辛いことを同じ立場で共感してくれる人って私にはあまりいなかったから、(もちろん友人はいるけど、やっぱり互いに体験していることが違うから共感できないところもあるものね)
すごく安心した。
きっとHさんにとっても私はそういう人なのだと思う。

小さな会社で十分な待遇は望めない。
それでも、この会社との縁で出会ったWさんを尊敬していたし、Hさんも尊敬している。
(二人とも一回り以上若いけれど)
時には私利私欲除いて誰かのために動ける人だから。
そんな人達がついていく今の社長もきっとそれなりの人なのだろう。
(今年の新年会でなぜか握手を求められ、あれ、思ったよりちゃんとした人だ、と思ったのだった)

彼らは私の懐に入ってしまった。
そして私も彼らの懐に入ってしまった。
これが「愛(合い)」なんだと思った。
恥ずかしながら随分久しぶりに感じた感覚だった。

特別な才能を発揮する人を「神」と人は呼ぶけれど
誰か、自分のことを脇に置いて思える人がいるならば、その人を思うとき人は神様になっているのだと思う。

フリーになるんだなんて思っていたけれど、やっぱり会社を辞めることはできそうにない。
でもスクールで出会った人たちのことも大事にしたい。

何かに属することは別れて存在している人間の宿命なんだろう。

地球上のどこに逃げても一人になることはできない。
私は⚪⚪家の人間であり
⚪⚪の社員であり
フリーランス大学Webスクールの人間であり
白光真宏会の人間であり
日本人であり
地球人である。
意識が広がるほど無責任ではいられなくなる。

ずっと逃げていた気持ちが落ち着いて、今日は一層真面目に働いた。
周りは変わっていなくても自分次第で見える世界は変わる。
自分が腹を据えたら、前はちゃらんぽらんに見えていた人も、まともに見える。

会社の隣の席の方から、Webのお仕事も舞い込んできたし。
あれこれ先を考えて動かなくても、縁を大事にしていれば、仕事も繋がっていくような気がします。

昨日、久々にT君と喋った。
T君は相変わらず怯えている(すべての人に対して)。
彼に信頼される人、相談される人になろうと思う。

…以上、朝の心境。

続く。

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