自分を生ききるには自分を捨てること

今日は朝いろいろあってお昼1時からお祈り。

先月は自分の依存心に基づいて結ばれた人間関係の断捨離があり
といってさほど傷ついてはいないのですが
ちょっと(/ω\)はずかしいむずむずした気持ちがあります。

先方は私を憎んでいるかもしれません。
でもどこかで(霊のレベルで)
お互いに

「お疲れさーん。よくやったね~」

なんて手を振ってお別れしている気がする。

きっとこっちが本当。

だからちょっと現実で起こした自分のふるまいが
幼稚で恥ずかしい

でもお互いのために必要だったことだから
仕方ないね

現実で厳しい人間関係になる人ほど
霊魂レベルでは仲良し
そんな気がします

現実にいるときはとてもそうは思えないけどね

今日祈っているとき
私の中の神様は私に何をさせたいのだろう
と思った

すると
自分を守ろうとするな
という答えがあった…気がする

そうね
自分を守ろうとして
生活のことに必死になっていた
仕事に魅力を感じず
ただ生活のために働いていたことは否めない

すべてゆるされるなら

ホームページを作るよりは

絵を描いたり
野菜を育てたり
ずっと憧れている洋服作りもしたいし
石鹸も作りたい
生活に必要なものを
自分の身の丈に合わせてつくる
そんな暮らしがしたい

結局今の私は自分をこの世界に当てはめるのに必死だった
それでは新しい世界にはいつまでたっても住めない

だから怖くても
常識から手を離さなくちゃいけない

そして誰にでもなく
自分の中の神様に繋がる

起業家さんが良く言う

「自分はどうしたいの」

この自分は
業想念ではなく
神の自分でなくてはいけない

なぜかというと
満たされないからである

業想念には
感情にもとずく計算がくっついているから
どこか的外れなのだ

自分を満たすには
自分の中の神様に聴くこと

そのためには
魂が曇らないよう
神様に繋がれるよう
常に祈ることが
必要なんですね

自分を守ろうとするのも業想念

(だって神様は完璧なのだから恐れたりしない)

今日もインスピレーションをありがとうございます。

世界人類が平和でありますように。

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