they got my heart!!

私が今抱えている疑問

何故こんなに生きにくいのか

自分の権利を守ることに執着するあまり
自分と他人を分けて考えすぎていないか

いつも自分と他人を差別化し
いつも自分がめだつように
いつも自分らしく

自分、自分、自分

そうやって守る自分にどれほどの価値があるというのだろう

魂はくっついたり別れたりするものだそうです
ひとつの魂が分かれて生まれて来たり
逆にくっついて生まれてきたりもするらしい

それに人間なんて
だれもが同じくらい悪いことをしているし
逆に同じくらい良いこともしているし
他人のことをとやかく言える筋合いなんてない

私だって今生でも人を傷つけているし
過去世では人や多くの生き物を殺したりもしているだろう

今生だけで考えれば相違があっても
過去世も含めて考えれば
人間なんて五十歩百歩なのだ

しかも私一つの魂がずっと転生している訳じゃないというなら
自分も人もあったものじゃない

いつからこんなに自分と他人を区別するようになったのだろう
個人の権利は守られているのかもしれないけれど
人は自分のことで頭がいっぱいで
だから自己主張しないと見向きもされない

毎日SNSに投稿するっていったいなんなの

自分の心の主は確かに自分、だけれど
今はなんというか、自分が生きるのに息も絶え絶えで
他人に興味が持てなくなっているだけ、のような気がする

昔は私の住んでいるあたりなど田舎だったから
他所者に対する差別やいじめなどもあったけれど
今でもあるけど
昔はお互いが愚かで無茶苦茶で
今は理性的というよりも、冷めている
無関心、のような気がする

自分軸とかよく聞くけど
自分はこうしたい、これを大事にしたい、というのは自分を活かすことなのかもしれないけれど
他人を尊重できなかったり
他人に無関心なのは、愛がないと思う

余裕がないのか強欲で餓えているのか

どうしてこんなに必死に生き残らないといけないのかと
愚痴も言いたくなる

このところ、とあるタイのドラマにはまってしまい、全27話4日で一気に観た
(仕事していたから4日かかった)
お陰様で今は、タイに行きたくてしかたがない
なんて寛容で温かくて思いやりにあふれた国なのだろうと
正直ぶっとんだ

自分よりも連帯責任
責任を誰か1人に押し付けたりしない
おせっかいに人の話を聞きたがる
助け合いが美徳
古いと思われるかもしれないけど

所詮私たちは地球人なのだ
地球から離れて暮らすことはできない
だから自分の幸せを追求する前に
みんなが生きられるように協力するのが本当なのだ
多様性なんて当たり前のこと

そもそも多様性ってなんだ
価値観の相違か
そうであってもみんなが生きていける地球にするという責任は
みんなが平等に持っているものなのに

どうでもいいことにこだわって多様性とかかっこよく言っちゃって

正直

地位も
性別も
財力も
学歴も
所属する会社も
住んでいる家も
持っている車も
同性が好きとか
ジェンダーとか

どうでもいい程度の多様性だと思う
この世界でしか通用しないラベル
なんでもいいじゃんというレベル

なんでこんなに窮屈で息苦しいのか
なぜこんなに人の役に立つことを強いられるのか
訳が分からない

そんなことより身近な人といたわり合うことの方が
きっとずっと大事だ
私はコミュ障なので苦手だけど
それだって生きづらさゆえに拗らせたに他ならない

自分が生きるのに精いっぱいで
隣人愛を忘れるならば
そんな世界は歪んでいると思うのは
私だけなのかなぁ

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