過去との別れ

毎年、年の瀬には親戚のうちに出掛けることが習慣になっていた。
おせちを用意してくれるというので前もっていつお邪魔するか連絡する。
昨年電話したとき忙しそうだったので何気なく「大丈夫?」ときいたら「大丈夫じゃないわ!」と叱られる。
しんどいのかなぁと思って気にしていなかった。
約束の日はぼたん雪の舞う日で、荷物もあったし車で出掛けることにした。
到着して顔を見たとたん「こんな日にこんでもいいわ!」と叱られる。
心配もあるだろうけどさすがに嫌な気持ちが沸いてきた。
そのあと、何がきっかけだったかはわからないが、大喧嘩になった。
ともかく嫌いなものは全否定する人だ。
私の仕事のことも「何をしとるのかわからん、どんな人と付き合っとるのかはわからんが、わしの方が人を見る目がある」そんな調子で話す余地なし、挙げ句「持ってきた土産も持って帰ってくれ」と言われた。
この大人げなさには開いた口が塞がらなかった。
いつも何がいいか私なりに考えて用意しているのに…。さすがに泣けてきた。
そのときやっと「いまこの人に何を話しても無駄だ」と気付いて、それからはもういつものように会話ができなくなった。私がもう距離をとってしまったから。
そのあとも「自分で変わろうとしないと変わらない」とか嫌みを言われる。
ほかの親戚にも会いたかったので暫くいたが、用がすんだところで引き上げた。土産は置いて、おせちはもらえず。何しにいったやら。

きっかけがなんだったのかははっきりとはわからない。
帰ってからもずっと気になっていたが、
ひとつは夏に行ったときに名刺を置いていったので、名刺や私のホームページを見て、私がちゃらんぽらんに楽をして生きたいと思っていると勘違いしたからだろう。
ずっと苦労してきたし(でも身近に子供が二人もいていつでもおいでと歓迎されているのに、意地をはって仕事を続けているのはあなたの選択ではないかと思うのだが)、
ともかく私のやり方考え方が彼女にそぐわなくて、嫌なやつに分類されたのだと思う。

それにしても見事な断捨離。
思い込みが激しく、一切聞く耳を持たず、何を言っても文句を付ける。
こんなに余裕のない人とは思わなかった。

結局無条件に受け入れてくれるような人ではなかったということだ。
普段も電話一本くれる訳じゃなし、期待していた私が甘かったんだな。私も連絡しないけどね。

そんなわけであそこに帰るという選択肢はなくなった。
私にはもう居場所がなくなった。
もう遠慮は要らない。

帰ってからも暫く気になっていたが、ふと気づいたのは、「あ、これ私の姿だ」って思い当たるところがあったこと。

私は会社にいた頃いつも組織や上司に反発していた。
彼女の、自分は正義だと言わんばかりに相手を拒絶する姿は、会社にいた頃の私そのものだった。

私はいつも出向先で働いていたから、社員同士の連帯感はなく、いつも一人だった。私みたいな働き方をしている人はみんなそうだろう。
チェリまほに出てくる和気あいあいとした会社は、今どきないと思う。

話がそれたけど、ようするに彼女は過去の私だ。
ああ、これで消えたのかなって思った。

少なくとも今の私は会社にいた頃のような惨めさも頑なさもない、はず。自分と違うタイプの人でも、いいと思ったら素直に誉めるし(嘘いつわりなく)。これからも人に背を向けることなく、本音で会話して付き合ってくれる人=聞く耳をもって会話できる人と付き合っていきたいと願っている。

自分を隠して生きていたらいつまでたっても私を大切にしてくれる人には出会えない。

これからもいろんな出会いがあるのだろうけど、聞く耳は持ちながらも自分の信念を尊重するようにしようと思う。

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