嘘つきになろう

嘘をついても構わない
それが誰かを思いやるものならば
明るい未来を創ろうとするものならば

昔、宮沢和史さんの歌で

「黙るくらいなら 嘘をついてほしい
でまかせでも構わない 僕を信じさせておくれ
誠実なのは時には罪深いこと
真実は言わなくていい 僕を騙し続けておくれ」

というのがあって
昔はわからなかったけど、今は分かる

このところ自分を責める思いが暴走していてすべてにおいて後ろ向き
人がみんな薄っぺらい言葉を吐いているように感じて人と距離を置く
そんな状態で

なんでこんなことになったのか?
きっかけはささいなこと

信頼している方が
「もっと相手を本当に思って祈ってください」
とおっしゃった
別に私に向けられた言葉ではない
でも私にはその言葉が突き刺さって
ちゃんと祈らなきゃ、って思うようになった
それから人の心をはかるようになった
この人はいかにも私を思って話しているようだけれど
本当は自分の利益のために私に繋がっているだけなんだ
(それはそれで認められているということなのだけど)
いつもポジティブなことを言うけど実際は下心でいっぱいで
私のことなどなんとも思っていないんだ
離れてしまったらだれも私のことなど思い出さない
そんなふうに思ってまた傷ついた
誰にも会いたくなくなった

でもそれは心を見つめるチェンスになった
今になって思うと
ずっと失敗する自分を情けないと責めていた気がする
一時停止違反で警察に捕まったことも
畑仕事を意地をはって週2回通っていたのも
寒い部屋でひとり背中を丸めて餌を食べるのも
眠るのもうちの中が散らかっているのもお構いなしに働き続けるのも

今日祈っていて
あ、人を避けているときは神様を避けているときだ、と感じて
神様の中にすっぽり入り込んだら
人が嫌じゃなくなった

自分を理想の自分に変えようとするのではなくて
よくやって来たなって、ねぎらってあげる
例え誰かが私に寄り添ってくれても
私が私を愛していなければその気持ちを信じることはできない
私は誰よりも私に褒められたい
人の評価を求める心は自分を褒めることが下手な心
(もしくは相手に特別な感情があるとか?)

人間の私には先は見えないけれど
肉体さんと神様(本心さん、守護の方々)が必ず寄り添ってうまくいくようにしてくださる

脳は言葉にしたことを実現しようと健気に働いてくれるもの
だからやっぱり嘘はつかなくては

しんどくても
大丈夫! (実際大丈夫なんだからね)
私は寂しくない
私はみんなに愛されている

そんなわけで
まだネガティブ思考で肉体さんはくたびれているけれど
もう大丈夫です

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