見えないボーダーライン

毎週土曜日の午前中は畑に通っています。
昨日2020/9/19(Sat) は秋晴れの気持ちのよい気候でした。

8月に刈った草がぐんぐん伸びてきて、すぐにも背丈に伸びそうな勢い。

作付した大根は好調。つい先日はかいわれ大根葉だったのに、大分葉っぱが大きくなっておなじみの葉っぱになってきました。
ラディッシュ、水菜も好調。草でモワモワだったので、双葉の根を痛めないよう気をつけながら、回りの草を抜く。
後で知ったが水菜は直射日光苦手なのね。モワモワの方がよかったかも。

野良仕事していたら若者が声をかけてきた。ベトナムのチャンさん夫婦。もう5年も日本に住んで働いている。この辺りで畑を探しているという。
私たちに畑を貸して下さっている方に聞いてみた。
「人の畑のものを勝手に取っていくお国柄だから、畑を借りるのは難しいと思うよ。」「責任をとるのはこっちだから」
との答えだった。
彼等自身はそんなことしないかもしれない…。貸してくださっている方も地主さんから借りているのだから、こちらで何かあればこの方にも責任がかかる。仲間もいるし。私には強いことは言えない。
来週また来ると言うからお断りすることになるだろう。

自然が作ったものならば所有権を主張することはできないけれど(と私は思うけど人間はやってますけどね)、農家の方々の苦労を思うと、安易に「そんなの古くさい偏見だ」とは言えない。
人間をがんじがらめにしている文化とか習慣とか先入観の壁は大きい。
でも、それがあるから対立は無くならないのだとも思う。

全部まっさらにして新しいルールを一緒に作っていけばいいのに…
(それはそれでまた人を縛ることにはなるけれど。)

秋のすがすがしさとは反対に寂しさを感じた出来事でした。

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