蛙たちは荒野をめざす

深い意味はない。なんとなくのタイトル。

私は現在仲間と共に、自然農園の師匠からお借りした畑で、自然栽培と協生農法での栽培の両方を体験しています。

協生農法は草も野菜も樹木も動物も昆虫もすべてがバランスを取って存在するよう、生態系・食物連鎖を生かした栽培方法です。基本は生き物たちにやってもらうので、人間はバランスを保つように草を刈り、たまには根を取り、種を播く、といったことをします。既に生き物が生きている場所ならば、生態系を壊さないように、耕すことはしません。
自然農法は持ち込まない(農薬など)ところは協生農法と同じですが、耕して人工的に圃場を作り手入れ(管理)します。

今回お借りした畑は雑草が生い茂るジャングル状態でした。8月始め頃からそれを草刈りし、やっと自然栽培に向けて畝を立て始めたところです。

耕す前は蜂もいたし蛙もわんさかいました。たくさんの植物や動物が生きていて、エネルギーに溢れた場所でした。
でも畑を作るために耕した後は生き物の気配のない沈黙の土地になりました。
先住者である彼らからすれば原爆の被害にあったようなもの
虫はいなくなり蛙も引っ越していってしまいました。

ああ本当に人間が砂漠を作ったんだな、、と
耕した畑をみてそう思いました。

何億という生き物を殺すということに対して、何も思わない人はいないはず。
生きていくためには仕方がないことだと自分の心を偽って、都合の悪いことは見ないようにしているのではないか。

もし他のやり方があるのなら、
人間の思い通りになるやり方ではないけれど、すべての生き物がバランスを取りながら生きていけるやり方があるのなら、
過去を捨ててプライドを捨てて方向転換する価値はあると思う。
その柔軟性を取り戻してほしいと思う。

人間だけの繁栄を捨てて、あらゆるいのちが光り輝く星になりますように。

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