私が食べずにいられない理由

私が今通っている自然農園には時々泥棒が入る。
その痕跡からさっするにどうも犯人は人間、らしい。

生産する立場からしたら、虫害も、モグラも、盗人も、腹立たしいものだ。
最初農園にやって来た時、私は生産者の気持ちがわからなかった。
だから、
農園に来た人が自由になっているものを摘んで食べられるような場所を作りたい
と話した。
オーナーからしたら「人の苦労もしらないで」というところ。

実際、週2回数時間参加するだけで、結構しんどい。
わからないことだらけだし体力もないから余計だろうけど。
気付くことが多いほど、やることは増えるだろう。

でも私はやっぱり、
野菜のジャングルがあってそこにやって来た人が自然の恵みに喜びながら実りをいただく姿を見たいなぁと思う。
誰のものでもないみんなのものである野菜。

自分がほとんど手をかけなくても実りがあるような場所であれば、人に取られても腹も立たないだろう。

そういう意味ではやっぱり農業がやりたい訳じゃないのかなと思う。

もともと生き物をいただくということことに、申し訳ないという気持ちがあった。
でも地球で肉体を維持するためにはいのちをいただかなくてはいけない。
食べなくても生きていけるようになればいいのに…
と思っていた。

そもそも私はなぜこんなに食べるのか。
今日、協生農法の野人さんのエッセイを読んで、少し思い出したような気がする。

野人 エッセイす

農を仕事としてやっている方は多分、自分の栽培方法でできた野菜は完璧で栄養のバランスが取れていると考えている。
確かに農園の野菜をいただくと満足感があるし、健康的な気持ちになる。
もっと食べたいと思う。

その人間の欲望を満たすのが今の農業。

人間以外の生き物は生きるために食べる。
人間は食べたいから食べる。
それって健全なことなのか。
食べたいものを作るのではなく、あるものをいただいて満足する方が健全じゃないか。

自生する植物も動物も生命エネルギーがとても高いので、少しいただくだけでいのちを繋ぐことができる。
ここまでくるとサバイバル、の次元なんですけどね(;^_^A
だから協生農法は極力人手をかけない。
道楽に草むしり、種蒔き、収穫をする、そんな感じ。
(※あまり知らずに語っているので間違ってたらごめんなさい。)

でも人間は必要な分だけいただく、ということができない。
体の感覚よりも脳の感覚が先行するからだ。
体は食べなくてもいいと思っていても、美味しそう♪と思ったら食べてしまう。

食べなければ消化にかけるエネルギーは少なくて済むから活発に動けるようになる。
過食がすぎれば病気になる。
そうわかっていても食べずにいられない。
それはなぜか。

食べるのは足りないから。
何が?
栄養分ではない。
電気(生命)エネルギーが足りないから。

完全なもの=自生するものだとしたら
自生するものを戴けば
少し食べるだけで満足するし、病気もなくなる。
お金もかからずにすむ。

人の欲望を満たすための農業は衰退するかもしれない。

どっちでもいい。
それはもうやっぱり自分がどちらを選ぶか、なのだ。

私は自分がいまより快適な状態になるならば、食べずに済めばいいなと思う。
お金もかからないし欲も減る。
そう思ったら極力自生の野菜が必要なのである。

生態系で自生する野菜のジャングル作り。
ほっからかしのジャングルではなく人間の思考が入ったジャングル。
いつか実現できるかな。

追記:
今はそう思っているけど、まだまだ農初心者なので、よくわからずに話しているところが多々あります。農をやっている方々、ご不快に感じられたら、申し訳ありません。
今自然栽培の教室に通っていて、やってみて、農の大変さも素晴らしさも感じています。でも体力的にしんどいかなと思うところもあります。
自分なりの農とのかかわり方を模索しているビギナーです。

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