Foreigner

#1
隣のコーポのおじいさん
母の生前はおばあさんと母が仲良くしていて
私もたまにお話ししていた

おばあさんはいつもゴミ収集場のネットを片付けてくれていたのに
このところゴミ収集の車が去った後もネットが散らかっていて
変だなぁとは思っていたのだ
でも忙しくて放置していた
少し認知症があったから施設にでも入ったのかなぁ
なんて思って

本当のことは聴かないとわからない

一昨日部屋から外を眺めているおじいさんと目があって
なんだか寂しそうだったので
昨日畑で貰った野菜を持って訪ねてみた

おばあさんは亡くなっていた
胃ガンで急に亡くなったそうだ

御参りが遅れたことをおじいさんおばあさんにお詫びして
暫くおじいさんと話をした

おじいさんは意識はしっかりしてるけれど
なんたか頼りなくなった
というより
静かにきれいに柔らかくなった
無くすことも悪いことではないけれど

一人は大変だ

うちの目の前の道路の向かいにナフコがあって便利だったのに
この6月から改装工事で閉店
車にも乗れないおじいさんはどうしているのか聴くと
近所に娘さんがいて
毎日電話をくれたり買い物してきてくれたりするというので
少し安心した

息子さんが日進にいるというから
息子さんのところでは暮らせないの?ときいたら
嫁が嫌がっている様子だ、とのこと

こんなとき
自分の都合ってそんなに大事なの
って思う

息子さんのところは一体何を警戒しているのだろう
おじいさんは自分を通すようなうるさい人じゃないのに
なんで居場所を作ってあげられないんだろう
同居が無理なら近くに住むところを見つけて
話をするだけでも元気になるのに

こんなことを書くと
また誰かの燗に障って
「何にも知らないくせに」
とか言われるんかな

確かに聴いてみないとわからない
身内なりの感情もあるし
他人だからできることもきっとある

私はわたしで気楽に
できることをして差し上げよう

#2
もっとシンプルに気楽に
困ったときくらい助け合ったらいいのに
地面が固まっていのちが育たない
そんな感じ

まずは心を解こう

人は頑なになっても
話を聴いてもらうだけで
風通しが良くなって気持ちが解れる

勉強より自己啓発より
普通の会話が
きっと心の栄養になる

でもまずば人に伝えなくてもいいから
自分で自分の心を正直に形にすること
ですね
悲しいときはただ泣けばいい

#3
家なんて制度、なきゃいいのに

一緒にいたい人同士でいればいい
誰の人生も所有しない

風紀は乱れるかもしれないけど
自然と住み分けされるから
私の回りは健全な人しか集まらない

所有するから
土地に縛られ
人に縛られる
自由でいい
お互いに会いたいときしか会えなくなるけど
それでいい

やっぱり私は宇宙人かも知れないですね

#4
善意の押し売りもいまいちだけど
でも愛は伝わる

どんな思いもその人にとっては正しい
嫌われたくないと思って黙ってしまうことであっても
杓子定規に行動しなきゃ駄目、なんてことはない 

でも自分をごまかすのだけはいけない
自分がわからなくなる
自分が死んでしまう
多少擦れ合うことがあったとしても
孤立することがあっても
自分を隠さない
私の心のなかでだけは

私は私を生きるのだ

#5
自己肯定とは
まずは真っ直ぐに聴くこと
後のことはそれから判断すればいい

それだけのことなのに
自分を聴かないのは
評価されないのが怖いから?

評価されないと生きてゆけないとしても
自分を殺して生きていたって仕方ないのにね

奴隷根性だなぁ
私の中にもまだあるよ

気付いたら「勝ち」だけどね

やつらはしぶといから
ひとつでも嘘をつくとどんどん根を伸ばす
エサをやらないで
枯らすようにいつも光を当てる
彼らのお陰で眠ることができたけど
今は起きるときだから

自分にもしっかり光を刻印します

#6
嫌われたくなくても
相手には嫌う自由があるし
私にも思う自由はある

自由なだけでよしとしなきゃね

#7
畑はちゃんとしたいなぁ
自分のところだけきれいでも仕方ない
地球じゅうがきれいな土になればいい