ひとりを持て余す

今日は常滑の田んぼに行ってきました。
11月だったかな?に植えた小麦の様子を見に行ったのです。
スマホの電源が切れていたので写真に収められなかったのが残念ですが、
元気にもさもさしてました。

小麦というと、あの、頭にぼそぼそしたものが沢山ついている状態が思い浮かびます。
青々とした葉っぱは、種を播いた位置に密集していなければただの雑草(ごめんね、ただのなんて言って)に見える。
ひょろっとした柔らかい葉で、稲のようにまっすぐ育たない。
これが3月になると、実をつけるのか、、どう変化していくのか、想像つかない。

他の草に侵蝕されないよう藁束を並べて、隙間に種を播いたので、藁の間を縫って葉が生えている。
窮屈そうなので、一旦藁をはずし(絡まっていたので)、
分けつするように周りの土を踏み踏みして、
また雑草が生えないように藁束を畝の横に並べて置いた。
前みたいに小麦に完全にかぶせていないので、効果はないかもしれないけれど、ないよりはいいかも。
生命エネルギーが残っているし。
小麦って寒い方がよいはずなんで、本当は風通しを良くしたほうがいいのかもしれないけど、
来月また様子を見に行こう。

出掛ける前はちょっと面倒だったけど、見ると可愛くて、なでなでしてしまいます カワ(・∀・)イイ!!

※分けつとは
植物の根元付近や切り株から伸びた新芽を蘖(ひこばえ)と言うが、蘖が伸びて株が増える事を分蘖と言う。
植物の栽培において、稲・麦・サトウキビなどでは成長時に分蘖して株が増えて大きくなるのを見越して、間隔を開けて苗を植える。
───── by Wiki先生

食欲なかったけれど、お墓詣り用のお花をぐぅぴぃひろば(農協の施設で、花とかお魚とか野菜とか販売している)に買いにいったら、
新鮮ないさきがあったので購入、久しぶりに煮つけを作りました。

なんにもしてないなぁ…いや、なんにもしてないわけじゃないけど。
お金になっていない、人と関わっていないだけで。
税金と年金と国保代払うためにお金を稼がなきゃいけない、
それがなかったら、人に何と言われようと何もしない気がする。。
今だけだといいけど。

昨日のハイテンションはどこいったくらい、今日はロウ。

誰か、何か(動物とか)にそばにいてほしいな。
ひとりになりたかったんじゃなかったんかい。そういう現実を選んできたんじゃないのかい。
そうだけどさ、
みんな、多少わさわさしても腐れ縁みたいにそばにいる人がいるでしょ?
家族もそうか。
私にはそういう人、いない。
お金や義務感ではなく繋がってくれる人。
全部全部受け止めてくださる方が、いつもそばにいたら…

こんな風に思うときは、守護霊様から離れているとき。
統一しよ。

大丈夫。今までと何も変わらない。しようと思ったことをコツコツ形にするだけ。
その時の気分ではなく、意識にしたがうたけ。

おしまい!

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