瞬間瞬間を生きる

#1
今朝、祈っていたら
『過去はない!』という昌美先生のお声が響いた

会社の人が嫌だといってもね
結局私がその人の消えてゆく姿を掴んでいるからで
過去のその人を掴んでいるからで
消えてゆくんだなって見てあげたら、
掴まないで神様の方を見てあげれば、それでいいのよね
今日はもう「神様しか見ないぞ!」と
改めて意識しながら一日を過ごしました
お陰様であまり存在を気にせずに済みました(嫌だと思ってもすぐに忘れちゃう)←結構ひどいこと言ってるね(;^_^A

波長があうとか馬があうとかいうけれど
結局次元の違う者同士は引き合わないものなので
まぁ、それもいいかと
望めば相手がこちらに合わせてくるでしょう
神様なんだから

#2
神界の光はすべての生きとし生けるものに平等に降り注いでいますが
神様を思わない人は受け取ることができません
そこで私たちの肉体が必要になります
私たちの魄(ぱく)要素と神界の光がブレンドされて
神様を思わない人たちが受け取ることができるようになります

祈り始めたころは
本当に光を受け取っているのかしら、とか
汚れが多くて光を汚してしまうのでは、なんて思ってしまいがちですが
人それぞれ個性があり
同じ次元や波長の人と繋がりやすいので
自分が祈れば同じタイプの人に光を届けることができます
必ずだれかの役に立っているのだから
自分のことなんか気にせずに
祈ればいいのですね

#3
毎朝『人類即神也』の宣言文を読んでいますが
今日改めて、その内容のすごさが心に染みました
「如是我聞」に記載しましたので、興味のある方はどうぞ

これが自然とできたらすごいけれど(ブッダ、キリストの境地)
本体の私たちはこうなのですって
なんだかもう、この世界のことがどうでもよくなってしまいます

昔はこの世界の普通の幸せ(自然体でいられるパートナーの存在とか、お金持ちになるとか)に憧れたけれど
どちらかを選べと言われたら迷わず神聖復活!です
両方体験すればよいのですけどね(゚∀゚)

明日も祈るよー(つ∀-)オヤスミー

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