今年の指針

昨日は祈りの会の新年祝賀祭がありました。
生憎の曇り空で、富士山を拝見することはできませんでしたが、行事はとても素晴らしく、新年祝賀祭ならではの特別な光をいただいて、身も心もうきうきと帰宅しました。

昌美先生はお忙しいご神事と体調不良の中、私たちに会うために姿を見せてくださいました。
昌美先生はおっしゃいます。
あなたたちに感謝するためにやってきましたと。
いただいたいのちをただ自分のためだけに使うのは勿体ない、
あなたたちの欲望は、立派な人になりたい、愛され慕われる人になりたい、という純粋なものであり、
自分では気づいていないかもしれないけれど、
いろんな事情は脇に置いて世界平和を祈るためだけにわざわざ富士聖地までやってくることこそ、神聖が復活している証、
もっと自信を持ちなさいと。
そしてまずあなたたちが祝福を受け取るのだと。

最初はかすれた弱弱しいお声でお話されていましたが、徐々に力を取り戻し、いつものように力強く私たちを讃えてくださいました。
私たちの姿を見ると力が湧いてくる、
そんなふうに言っていただくと、また来ようという気持ちになります。

そんな尊い私たちに導いてくださったのは、他でもない昌美先生です。
世界人類、なんて現象の私はまだまだ思えないけれど、
昌美先生のお力になれることに素直に喜びを感じます。
昌美先生の天命完うが、私の望みでもあります。

理事長が「善悪を超える」とおっしゃっていました。
私はずっと男性社会で一人前に生きていくために、負けないように虚勢を張っていました。
でも弱いことは本来、個性です。
男性より普通は女性の方が力が弱いですが、それは悪いことではありません。
この世界の間違いのもとは、「こうであるべき」という基準が組織や国、世界にあって、それに合わないものは劣っているというように、誰かのエゴが作ったものさしに人をしばりつけ優劣をつけることです。
違いがあることは自然なこと、そこに善悪をのせるから差別が起こる。
善悪をのせることが問題なのですよね。
どうせなら根本の根本「いのちの上に優劣はない」ところまでいかなくては。

毎年1月は新年の指針をいただきます。
守護霊様からのメッセージをいただく気持ちで、おみくじのように、指針の入った封筒を選びます。
今年のメッセージは
「今現在、あなたの本心、本体は、光輝き、全宇宙に光を放ち続けている」
ですって!
このスケールのデカいこと!
これは、つまり、「自覚を持ちなさい」というメッセージだと受け取りました。

おりしも今の働き方に限界を感じている中で、先日の名古屋の集会では自分から転職しないこと、と言われ、会社にとどまることを選択しましたが、
先週の金曜日、次の職場の面接に出掛け、ああこんな生活がまた何年も続くのかと思うとしんどくなって、投げやりな気持ちになっていたところ、祈りの仲間から「大丈夫だから気持ちに素直になりなさい」と励まされ、昌美先生にも励まされ、守護霊様からも背中を押されたような気持ちになって、また前向きに自立を考えるようになりました。
ブレブレの私。。。
でも、インターネットで調べたら、契約社員って最長5年しか契約できないのですってね?
今、会社が調子のいいことを言っていても、いつかは離れる時が来るならば、勇気を持って少しでも若いうちに決断しなくては。
会社を辞めてもやることはあるのだから。

祈りの会に入会して1年目、特にお世話になったOさんは、某歴史上の有名人物の生まれ変わりだそうです。
確かにお若いころは気性が荒く、私もびびっていました。
でも最近は随分と穏やかになられて、
昨日行事の帰りに偶然あったら突然、「背中撫でて上げる」といってさすってくださった。
人に触れるなんて嫌がる方だと思っていたのに。
この方は厳格なほどみ教えに素直な方なのですが、きっとだからこそ神様にとって使いやすい器なのだと思います。
本人は自覚がないけれど、その時すっとなさることに、なんだか御神意を感じるのです。
昨日もそんな感じでした。
何を感じられたのだろう。
とにかく、お礼の印を組もう。

今日はまとまらない。。。
もうただひたすら御心の如くなさしめたまえ、デス。

昨日の夕餉。怠けて、大戸屋さんで米粉竜田揚げを購入して帰りました。
芽キャベツとリンゴの生絞りジュース、
そしてそして、昨年収穫した玄米を炊いてみました。普通の市販の玄米+収穫したミックス米=1:1ちょっとミックス米の配合が多すぎたね。リベンジします~

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