love will never end

昼間母のことを思い出して記事を書いていたら、芋づる式に最後の日のことをいろいろ思い出して反芻してしまいました。

最後の1日は、別れの日だけれど、私にとっては宝物のような日なのです。

母が逝ってしまう前日の夜、私は病院で簡易ベッドをレンタルして、母の横に並んで寝ました。
母はとても意識がはっきりしていて、横で寝ている私に、自分の布団をかけようとするので、
私がいいよ、と断ると、「あんたはすぐそういうことを言う」とすねるので、お言葉に甘えました。
とても死を前にしているとは思えないほど、普通でした。
簡易ベットの上で起き上がろうとしたらぐらついて落っこちそうになった私を見て、母は笑いました。
そんな母の自然な様子は、それまで見たことがありませんでした。

朝目が覚めて、病院内のローソンで水餃子を購入し、食べていると、
「朝から豪勢だな」というので「食べる?」と聞いたら、食べるという。
最後の食事かなぁと思い、もういいやと思って、少し食べさせると、
胃が痛いというので、やめました。
その後も胃が痛いというので、さすりながら何度も医者を呼びましたが、来てはくれませんでした。

その後一度うちに帰って洗濯物を干して戻ってきて、
やっぱり母はお腹がはって便がでないだの胃が痛いだので辛いと言っていました。
看護師さんは適当になだめるだけでなにもしませんでした。
思うようにならなくて母は怒っていました。

そのうち脈が細くなってやっと医者が来て、
母があくびをすると、
「亡くなる前は電気信号が弱くなってあくびをする」とかいらない解説をしてくれました。
私はもうこのときは「五井先生ありがとうございます」しか出てきませんでした。

亡くなったときの母の顔は、穏やかな笑みを浮かべていて、とてもきれいでした。

最後の1日、なんていうこともない普通の会話、やりとりですが、でもそれが、
うちでは本当に初めてのことだったのです。
母も私も相当の意地っ張りだったから、思っていることを素直に話せるような関係じゃなかった。
でもこの1日は、今思い返すと、私にとってはとても幸せな時間でした。

会いたいなぁと思います。
これが愛なんだなぁと思います。

お母さん、愛を教えてくれて、ありがとう。

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final answer