世界が平和であるために

母は亡くなる前入院したとき、おかしなことを口走るようになっていたので、
個室に移してもらい二人にしてもらいました。
すると不思議なことに普通に会話出来るようになりました。
母は言いたいことをすべて呑み込んでしまう人で、私にも言いたいこと山ほどあっただろうに、
私に生計をたててもらい世話になっているという引け目、自信のなさから、
顔には出ていても何も言いませんでした。
私はそれが悲しくて、
そのときには母はもう医者にみ限られていたので、私も、亡くなった後の彼女の幸せを思って話しました。
「私の言うことなんか聞かなくていいんだよ、人の言うことなんて聞かなくていいんだよ、自分の思った通りすればいいんだよ」
と話しました。
母ははっきりと目を開いて、同意した様子で「ふん」と言いました。

 
 
誰ががいいと言ったからと言って
本人が違和感を感じるならしなくていいのです。
逆に誰がなんと言おうと自分がしっくりくることならばやればいいのです。
この世界の形に正解なんてない。
合意はあるけれど。

細かい価値観、趣味嗜好などどうでもいい。
結局のところ本人が心地よい状態であること、良い波動圏を作ることが大切なのです、きっと。
世界が平和であるために。

だから「こひしたふわよ(恋慕うわよ)」※なんです。

自分軸とか難しく考えなくていい。
写真を飾るとか小さなことでもいい。
心地よいと思うことを積極的にしましょう。

 
※関連記事あり。トップメニューのサイト内検索で「こひしたふわよ」で検索してみてね!

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