つぎはぎの、あべこべの。

#1
今日の納骨堂はなんだかスッキリとしていて穏やかな気持ちになりました。
いつも、皆さんが神聖に目覚めますようにと祈り、印を組んできます。
祈りも印も、神様との共同作業。
人間が頑張ってするものではないし、神様にすがるものでもない。
ゆめゆめ忘れないように
今日もこれからも祈ります。

#2
未だ神人として恥ずかしいな、みっともないなと思う言動をしてしまうこともあるけれど、
それに気付ける今は幸せです
手放すことができるから。
私を慈しんで下さる意識に感謝いたします。

#3
若和尚は今時の若者で、新しい感覚で新しい試みを実践しています。
ご朱印を授けてくれたり、ご法話会や、お供えものを食べ物が足りない子供たちのところに提供したりしています。
おやじはむっつりですが(失礼、)若は明るく華やかな印象です。
きっと良くなる。

#4
お墓の近くに小さな畑かあって、
大きな柑橘類の果実がなっている。
もうそりゃあ「どうぞお召し上がり下さい」と言わんばかりに。
いや、言っている。
でもここでひとつもぎったら泥棒になるのだろう。

本人(果実)がいいと言っているのだから、いいじゃないか。
そもそも神様の側からみれば
私有することの方が間違っているのだよ。

なんでこんなあべこべなのかしら。
そう思いませんか?

おしまい。

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