固定観念を外す

昌美先生は時おり
「食べなくても生きられるのよ」
とおっしゃる。

私はそれを聴いて、食べないこと=肉体波動を消すための行であり、昌美先生やヒマラヤ聖者といった特別に悟った人が達する境地だと思っていた。
でも独りになってから、別の意味で理解するようになった。

今は朝ごはんは食べないし、本当に忙しくてしなければならないことがあるときは、食事よりそちらを優先する。
食事は準備から後片付けまで、一回につき1~数時間かかるものだ。外食だって、出掛けて提供されるのを待っている時間を考えると、そう変わらない。だからもう食べない。またはエネルギー効率のよいものをほんの少しだけいただく。生野菜ジュースとか、野生の動物のジャーキーとか。 

そんな生活をしていてわかった。
少しくらい空腹だからって人間は死んだりしない。逆に快適になることもある。

私が食べるのは、時間がきたから、口寂しいから、緊張緩和、といった理由が主なるものだ。空腹でどうしようもなく、ということはあまりない。
一日のうち一度、きちんと食べていれば、あとは少しつまむ程度で十分であるように感じる。
特にそこにこだわっているわけではないけれど、最近、物事を断捨離したいなぁと思うようになって、食べることもできるだけ必要なだけ食べるようにしたいと思っている。
料理は楽しみで週末に少しだけ。寒くなってきたから体を温めるものを少しだけ。
無理に減らすつもりはないけれど、無理しないようにしたら、自然と減っていく気がする。
実際には無理をしていることの多い毎日だから、なんだかんだ慰みに、空腹を感じる暇もないほど食べてしまうのですけどね。。

昌美先生がおっしゃっていたのは、
一日三度食べなくてはならないというのは固定観念である
⬇️
固定観念=これまでの古いバイブレーション
⬇️
古いバイブレーションを手放そう
ということだったのではないかと、今はそう思っている。

私たちの幽界には餓えの辛い記憶がすりこまれている。
それを利用して一部の支配者たちが、不安を煽るような情報(1日3度食べなくてはいけません、おなかがすいたら生きていけません)を垂れ流し、経済成長という名のもとに、食で人をコントロールしている。
質のよい食べ物を作る、環境を守る、等、もっとエネルギーを使うべきものはあるはずなのに、目を向けさせないようにしている。
結果、過剰な食事が生活習慣病を生み、医者や薬屋が繁盛する、そんなグロテスクな有り様が見える。

でも今は、本当の人間が生まれるとき。
人々が目覚め始めている。

あと10年で地球は大きく変わるという。
流行に乗り遅れないようにしよう。

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