エゴについて
昨日の名古屋での祈りの会で、会員の方から講師の先生にこんなような質問がありました。
「昔は、仏教でも五井先生でも、エゴは滅するものとしてきたけれど
最近のスピリチュアルの世界だと、自分を受け入れる、といったことが言われている。
このあたりに矛盾を感じるが、どう折り合いをつけていったらよいか」
講師の先生は
「そのときの自分が安心立命するやりかたをすればよいのではないでしょうか」
とおっしゃいました。
確かに
昔は不倫するだけで首を撥ねられる時代がありました。
昔読んだ五井先生のご著書の中に
『昔は人間の行いが今よりずっと乱れていたから、それくらい厳しく言わないといけなかった
(魂を傷つけるから、だと思います)
キリストなどは思うだけで罪とおっしゃったけれど私はそうは言わない
人間の中にはもうどうしようもないものがある
押さえて消えてなくなるものではない
出してしまった方がいい、消えてゆくのだから
(その上で、天命を信じて祈りに変える努力は必要なのだということだと思います)』
そんなわけで
自分が腑に落ちること、すっきりすること、心地よいことをすればよいのだ、ということですね。
先日、富士の行事で昌美先生が、
「みんなまだまだ自分を信じていない!」とおっしゃっていましたが、
このお言葉もここに繋がるようです。
昌美先生がおっしゃるから、五井先生がおっしゃるから、善いことだからする、のでは
自分のいのちが生きていない
もう自分で決めてよいのだということ
そうすればもっと神聖を現すことができるのだということを
昌美先生はおっしゃりたかったようです
なるほどー°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
何を信じるのも自由ですが
今このタイミングで存在する方々は、肉体をもって次元上昇することを選んだ方々
てっぺんを掴みましょう!
ではでは~Bis bald! (今日はドイツ語)