みたままつり

このところ20時定時退社の日々。
しばらく晩御飯は外食になりそうです。
週末に作った渾身の(というほどではないけど割とお気に入りの)カレーがうちにあるというのに…。

今の職場は、素直に言うことを聞かない人はプロジェクトから外されるそうで、さすが知らない人はいない大手会社、とっても横暴なのです。
最近口答え?というか、意見を遠慮なくいうようになったので、私もそろそろ肩を叩かれるかもしれません。
どちらでもいいですが、のびのびとできることを正々堂々としようと思っています。

さて、先日の日曜は富士の祈りの行事に参加してきました。
今の祈りの会(白光真宏会)に入ったのは10年ほど前ですが、
私が五井先生のご著書に出会ったのはその7年前のことで、ひとりでずっと祈っていました。
でもやっぱり「こんなやり方でいいのかな」等々自信がもてず、ある日「このままではだめだ」と思い、入会しました。
それも神計らいなのでしょうけれど^^
その(少なくとも表面の心の)決意となったのが、この度の行事です。

古くは「みたままつり」という行事でした。
亡くなった御霊のお浄め、供養ができるのですが、こちらの世界では血族しか供養することができませんが、みたままつりでは誰のことも供養することができます。
ご縁のある方であれば。
例えば「あの時どこどこで会った方」「友達のご家族」であってもよいです。
金額もお寺のように決まっている訳ではなく、自分のできることをすればよいのです。
例えば「あの時どこどこで会った方」に500円、「友達のご家族」に1000円、など、いくらでも、何人でも構いません。
ただしこの供養は会員でなければ申し込むことはできません。
それが入会の一つの動機になりました。

ことしも晴れやかな秋の空の下で祈りを捧げました。
ご先祖の御魂と交流し(私には見ることはできないけれど)、まだ迷っておられる御霊を浄めていただきました。

彼らは、そのまま神界の住人となって五井先生とともに働く方もいれば、再度肉体界へ転生する御霊もあります。
私たちがこちらの世界で作った間違った思いは、こちらの世界で現わさなければ消えません。
ですから転生するということは、神様の恩寵なのです。
どんなにこの世的には貧しかったり恵まれない境遇であったとしても、
魂にとっては、この世に生を受けるということがとてつもない幸いなのだそうです。

でもそんなこと、現象の世界だけ見ていては、そんなふうに思えないですよね。
私は五井先生に出会えて、真理を知ることができて、本当に幸せだったと思います。
こうして真理をお伝えすることができることも、ありがたいことだと思います。

すべての御霊に神と一体となる道が開かれますように。
五井先生、今年もありがとうございました。

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