Either’s fine

原因を特定したからといって
すべての人が同じ原因で同じように成るわけではないでしょう。
それは単なるきっかけだからです。
その人を本筋に戻すためのトリガーであって
成るときはどうあってでもなるのです。
その人にとって最高のタイミングでなるのです。
そこには神智が働いています。

だから原因をあれこれ考えるくらいなら
本筋に戻る努力をしなくてはならない。
その道筋のひとつが、自然農だったり祈りの道だったりするわけです。

とはいえ自然農のいのちと繋がる思想は、宗教に他ならないと感じます。
真の宗教は、いのちを宣り出すもの、完全な自立を促すものだからです。

なのに、なんとなく、自然農に携わる方々は宗教を嫌うように思います。
自分たちのやりかたに納得しているから。
宗教に対する誤解があるから。

目指すものは同じ。
名前など、何でもよいのにね。

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