手紙

昨日、祈りの会の方とメールする中で、私がどういう気持ちでブログを書いているかを書き綴っていて、我ながら偉いね♪と思ったので転載します。

————
おはようございます

明日は母の三回忌、父の十七回忌なので、会社を休んでバタバタしています。

>大役を守護霊様から任された感じです。

そうなのですか。またお話伺います。

うん、宗教やってる人のなかには、熱心なのはいいけどどこか盲目的な危なっかしい感じがする人がいるね。そのくせ行動が伴っていないというか。そういうところが一般の人に警戒心を与えるんだよね。
相手の神性を見ないで見下したり、グループで固まったり。消えてゆく姿を免罪符にしてやりたいことやってんじゃねーって思う。もし至らないところがあるなら、折を見てきちんと叱ればいい。それが相手の神性を信じるってことでしょ。
Iさんの車だって、後ろの人が少しでも運転したらいいんだ。しんどいのも分け合う。もしくはみんなバス!そうすればみんなが楽になる。

※Iさんは祈りの会の方で、自分の車に仲間を乗せて富士まで通っています。先日一度同乗させていただいたときに私が運転手をかって以来、運転手をやってほしいとオファーがありますが、仕事が忙しいときはしんどいし、一度引き受けるとずっと…ということになりそうなので、二の足を踏んでいます。
バスとは、会が貸切るバスのことです。

私には自分が実感したことしか口にしないところがあります。真理も知識としてわかっているだけではどうしようもない。いいかげんなことは言えない。霊的なものはないから、自分の日常の中に掴んだ真理の響きを一般の人にも伝わるように話したい。
あまりに一般の人と変わらないように見えるし思考回路も一般の人に近いせいか、会の方にはバカにされることもあるけど。バカにする方がバカなんだ。
視点が一般の人と違って自然に語ること、行いのなかに叡智がある、愛がある。そういう人になりたいのです。
人間の五井先生が、人間の私の目標です。

できることをコツコツやっていきます。
————

私は相手を思うとその人に似てしまうから、もう思うのは五井先生だけでいいんだ。

See You~☆

次の記事

一日の終わりに