以前両親だった御霊(みたま)を思う

しなきゃいけないかのように髪を脱色・着色し
しなきゃいけないかのようにスマホをいじり
しなきゃいけないかのように塾に通い
しなきゃいけないかのように大学に通い
しなきゃいけないかのように卒業旅行に出かけ
しなきゃいけないかのようにドレスを着て記念写真を撮る

今の私は要らないと思ったらぶったぎることができるけれど
若かったころは世間の風潮に合わせることが普通のことで
そうすることが親の義務ぐらいに思い
苦労して働いた両親のお金をむしり取った

親のエゴで強いられている子供もいるかもしれないけれど
うちはそもそも裕福ではなかったから
親は愛念でできるだけ私たちに尽くしてくれていたのだなぁと今は思う

外出先からの帰宅途中
写真館に飾られたドレスをみて両親を思った
今は両親ではなくなった二人への想いが溢れてきて
み魂を抱きしめたくてたまらなくなった

母が私の元を離れると決めたときも
きっと断腸の想いだったんじゃないだろうか
(もちろん父も)

一緒にいるときは愛情で
別れを決めたときは神の愛で

親は子供という神様にすべて捧げることができるのだ
親ってすごいなぁと今は思う

日常いろいろあるとはいっても
母と別れた時ほど苦しいことはなかった
そうだね
もう苦しいことは何もない

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