愛されたいと思うこと

私は昔、人に愛されたい気持ちが強かった。
嫌われたくなくていつも人に黙ってついていくような、ほとんど自己主張のない人間だった。
そんなだから、周りからみたら「何考えてるかわかんない人」だった。

でも言いたいことがなかった訳じゃなくて、
ほらこの通り、いまはすごくおしゃべり。

このところ会社で人に指示を出して動いてもらっていたのだけど、
24歳くらいの男性なんだけど、
いつもとてもびびっている。その割には「トラウマがあるんです」とか、聞いてもいない個人的なことを、馴れ馴れしく話してくる。
そういうデリケートな話は、本当に困っていたら、あまり自分からべらべらしゃべらないと思うのだが。
わからないとろくに考えずに質問してきて、指示待ち。
万事、共感できないので、
「トラウマと今の仕事は関係ない!」
「そういうことは話しても誰の役にもたたない!」
「間違えてもいいから自分で考えて、わからないなりに説明してみなさい!」
といったことをずばずば言っていたので、
しかも彼の質問攻撃でこちらの仕事がまったくといっていいほど進まない(中断されるため)のでわさわさしていて、
周りからみたら、私の方がただのヒステリーなおばさん、に見えていたと思う。

なんですかね。。。
昔の私ならもっとやさしい言い方ができていたと思う。
でも彼の、自分で自分を生かそうとしない態度が嫌で、言い訳ばっかりするのも嫌で、
嫌だと思う私の感情が私を傷つけるので、もう毎日疲労困憊でした。

やっぱり私が悪いのかしらね。
いや、悪いというか
オブラートに包んで話すことを意識した方がいいのかしらね…
でも自分を隠すようなことはしたくなくて。だいたい悪気はないんですよ。
でも、こうあってほしいと要求することが、彼の心を無視していたかもしれない、とは思った。
なんでこんなに私は偉そうなのか。
職場にいるときの自分が嫌でたまらなくなった。

「愛深い人は人の心につきささるようなことは言わない」、と五井先生はおっしゃった。
私の愛が浅いのかなぁ…
結局自分の思いどおりにしたいだけなのかなぁ…
どうしたらもっと柔らかい人になれるだろう。

今朝目が覚めてふと思ったのは、
今の私は人にどう思われるかということに、あんまり興味がないなぁということ。
配慮はできる方だと思うけど、それはあくまで自分なりの基準だし、相手がそれを望んでいるかはまた別の話だものね。
全体について考えるあまり、個人の気持ちに配慮できていなかったかもしれない。
んーー。サラリーマンのお父さんみたいね。
愛されたいと思ったら、自然と相手の気持ちに敏感になれるかもしれない…

Webの授業で先生が「してあげたいことをお客さま目線で考えなさい」とおっしゃった。
そうか。それは確かに今の私に足りない思考回路かもしれない。
相手を理解しようとすることが大事なのだな。

なんだかいろいろ忘れていたことを取り戻した週末でした。
とりあえず、彼氏でもできるといいかもね。

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