矢と歌

私は言葉の使い方の大切さを、近頃しみじみと感じている。
アメリカの有名な詩人ロングフェローの詩に「矢と歌」という詩がある。

私は空中に矢を放った

矢は地上に落ちた

その矢がどこに落ちたか私は知らない

という行で始まるこの詩は、私たちが不注意にいう言葉を矢に例え、その矢が樫の木(強い気高い人のたとえ)を傷つけたことを見出し、また何気なく語った愛の言葉を歌に例え、その歌(愛の言葉)がいつ迄も友人の心に残っていて、友人を慰め力づけていたことを知った、というようなことを歌っている。
私はこの詩のように、言葉の重大さを今更のように思うのである。
愛の言葉は常に人を生かし、自己を生かすが、憎悪、嫉妬、怒り、不実等の言葉は人を傷つけ痛める、と共に反転して自己を損なう。
言葉とは音声に出ずるものばかりではない。音声以前の想念の中にもあるもので、音声の言葉だけ愛深そうにいったところで、それが愛の言葉とはならない。
言葉は常に真実性がなければならない。愛の言葉、真実の言葉が国に充ちているか、不実の言葉、不注意の言葉、心なき言葉が充ちているかによって、その国の運命は定まってしまうのである。
愛の言葉は天からくる言葉である。本心からくる言葉である。正義の言葉である。
自他一体の言葉である。人を生かし、人を勇気づけ、人を慰撫する言葉である。深い思いやりをもった言葉である。
愛の言葉は、常に神を想い、神に感謝し、万物に感謝している者からは、巧まずして、自然に湧き出でて、光のごとく、人の心を明るくしてゆくものである。
不注意なる不実なる言葉を吐かず、人を生かし、人を勇気づけ、明るくするような愛の言葉が、巧まずして、自ら口を出づるような人間になりたいものである。
一言、一言が愛に充ちた言葉を、人間すべてが交換できる日を一日も早く招来せしむるよう、私たちは神に祈りつづけなければならぬ。 

神様、どうぞ愛深き私でありますようにー

私は愛

神は愛
愛はすべて
私は愛

まず心の平和を

病気に限らず何事でも、表面の意識、潜在意識を共に含めて自分の心が平安になるという方向にもってゆかなければ、問題は解決しません。
だから、今こそ本当の宗教が必要なんですよ。単に病気を治す、貧乏を直すというような、現れている物事だけを扱うのじゃなくて、根本である本心と、潜在意識と、現れている意識とが一つになるような、そういう宗教運動が必要なんです。
現れてくるものは、病気でも不幸でも嫌なことでも、なんでもかんでもこれは消えてゆく姿なんだ、消えてゆくにつれて本心が現れるんだ、と説いているのです。
世界平和の祈りを常に常に繰り返していれば、いつのまにか、顕在意識の想いから潜在意識の幽界、霊界まで、すべて世界人類が平和であれという、人類愛のみ心の光がそのまま入ってしまって、自分は光一元になってしまう。そうすると自分は平和になりますね。
自分が平和になるということは、周囲も明るく照らします。周囲を照らせは、だんだん世界も平和になってゆく。そういうように連関的に光明波動が世界中に広まってゆくのだ、と説いているのです。

人間とは一体どういうものであるかというと、実は神の子であって、この世の中は神のみ心しかないのです。神のみ心は完全円満なのだから、完全円満でないあらゆるものは、実在するものじゃないんです。だから消えてゆく姿に違いないのです。
いつのまにか潜在意識はきれいになり、世界中の潜在意識がきれいになって、世界が平和になるのだから、一生懸命、倦まず弛まず世界平和の祈りを祈りなさい、というんです。一生、二生、三生かけてもやらなければダメですよ。

自分たちが世界平和を創るんだという気分が盛り上がってゆくと、自分のことにあんまり囚われがなくなってくるのです。
心が広がり、万事に余裕が出てくると、自分以外のことを思える心になってくるんですよ。人間の心を一番乱すものは何かというと、自分の想いを通そうとすることなのです。だから通そうなんて思わないことです。自分には世界平和を祈るという重大な役目があるんだし、それが本当の願目なんだ。そう思えるようになると要求もなくなってくる。そうすると大らかな、にこやかな妻になり夫になり母になる、ということになるんです。
そういう具合になるとそんなに強く要求しようとしなくても、向こうが要求を通してくれるのです。こちらが要求を通そう通そうとしている間は、相手は言うことを聞いてくれません。だから、まず大きい心のほうが下座について、向こうの要求を通してやることです。そうするとすべてがうまくゆくんです。

私共は、世界人類が平和でありますように、という一念で生きようと思っているのです。自分の家庭もよくなり、世界人類もよくなるという、個人人類同時成道というのが、私たちの平和の祈りなのです。
世界平和の祈りのひびきというのは、宇宙運行の正しい法則に乗っているひびきなのです。だから正しい宇宙の法則に乗りさえすれば、世界は平和になるんだから、その法則に乗る人が増えてくればいいのです。
         ───五井先生『天の心かく在り 日本の進むべき道』

神との交流がまず第一

この世のすべての人は、肉体的に働くのも、精神的に働くのにも、すべて自己や自己の周囲の者のためという、一つの把われがあって、働いています。
神と縦の交わりがなく、ただ単に横に働く精神波動で、この世を建て直そうとしても、それは相対的なものになってしまい、いわゆる念力合戦になってしまうのです。先ず縦に昇ってゆき、神のみ心と交流して、そこから天降ってきて横に働くのでなくては、真の世界平和の働きはできないのです。
武力にしろ、念力にしろ、相対的力関係は、常に戦いに繋がってしまうのです。そこでこうした物質的な力や、肉体に付属する精神の力というものではない、調和そのものの力が必要になってくるのです。それが即ち神の愛の力なのです。その神の愛の力をはっきりこの世に働かし得るのが、祈りなのです。
         ───五井先生『人類の未来』

人類即神也

私が語ること、想うこと、表わすことは、すべて人類のことのみ。人類の幸せのみ。人類の平和のみ。人類が真理に目覚めることのみ。
故に、私個に関する一切の言葉、想念、行為に私心なし、自我なし、対立なし。すべては宇宙そのもの、光そのもの、真理そのもの、神の存在そのものなり。
地球上に生ずるいかなる天変地変、環境汚染、飢餓、病気……これらすべて「人類即神也」を顕すためのプロセスなり。
世界中で繰り広げられる戦争、民族紛争、宗教対立……これらも又すべて「人類即神也」を顕すためのプロセスなり。
故に、いかなる地球上の出来事、状況、ニュース、情報に対しても、又、人類の様々なる生き方、想念、行為に対しても、且つ又、小智才覚により神域を汚してしまっている発明発見に対してさえも、これらすべて「人類即神也」を顕すためのプロセスとして、いかなる批判、非難、評価も下さず、それらに対して何ら一切関知せず。
私は只ひたすら人類に対して、神の無限なる愛と赦しと慈しみを与えつづけ、人類すべてが真理に目覚めるその時に至るまで、人類一人一人に代わって「人類即神也」の印を組みつづけるのである。

立派な人になる

自分の立場から見て行動するのを「我」と言い、他人の立場をのみ思って行動するを「愛」という。
それさえも超越してすべて神様まかせにするを「空」という。

形ばかり座っていても心が座っていなければ、社会の実生活にでてたちまち心乱れてしまう。
心が動かずピッタリと座ることが第一である。

私たちは新しい世界を創る、業のない世界を創る、光一元の世界を今改めて作っているのだ、新しい人類を作るのだ、と思うこと。
今の苦しみは過去から繋がっている波が、今現れてきているのだから、それは消えてゆく姿なのだ。

最悪の状態は、これから善くなるという前兆である。

私がいつも思っていることは、神様事を抜きにしてこの肉の身そのままで立派な人間であること。人格が立派でなければなんにもならないということだ。
神秘的な力も智慧も、これは天から与えてくださることで、肉体人間側の方では預かり知らぬことだ。人格も立派、その上に神様からの智慧も力も流れてくるという人にならなければならない。

あなたがもし嫌なことを人に聞かされたなら、なんとこの人はいやらしいんだろう、と自分の心の乱れの責めを相手に帰するのではなく、そういう因縁があったんで聞いたんだろう、聞いたことによって、私の因縁も、あの人の因縁も消えていったのだと思うことです。

その人が悪いのではない。業に巻き込まれてしまうのだ。あいつは悪いやつだ、と言われる人は、実は業をそこに結集させて、代表的に業を消している役目を担っているのである。ああご苦労さま、あの人の天命が完うされますように、と祈れる心は仏の心である。

いつも神に対するように、人に対することです。

個我のわたくし、肉体の私、というのがなくなればなくなる程、その人は立派な人である。弱い私、善い私、悪い私、そういうものはない。
いいわたしもいる必要はない。悪い私も必要ない。みんなわたしというのは渡しだから渡すだけである。天に渡すだけである。わたしを渡し、それで天の心に入ってしまえばいい。そして光ごと降りてくればいい。そうすると光明体である。光になることが唯一のことなのだ。

         ───『如是我聞─五井先生の言葉─』

瞬々刻々の魂磨き

現象面では、自分の中には善い心と悪い心がありますし、この世界にも善いことと悪いことがありますから、どうしても両方掴まなくては生きていけないわけです。ハッキリ掴んでいいのです。
自分の中の善いもの、悪いもの、あいつ嫌な奴だ、と見てもいいのです。
だけれども、「あの人の悪い思いは今消えてゆくんだな、守護霊さん、どうぞあの人が立派になりますように。」「自分が立派になりますように」と常により立派になり、きれいになることを願いながら、世界平和の祈りで朝、昼、晩、瞬々刻々、一瞬一瞬を磨きに磨いていく。
きれいな玉になって毎日をすがすがしく生きる。自分を磨くことが世界人類のためになるのです。
そのような磨きに磨かれた人が多くなるほど、自分の肉体を通して大光明波動が地球、宇宙に広がっていくのです。
そうすると悪いことをしようとしてもできなくなるし、戦争しようという思いもなくなっていくし、
だんだん世界が良くなっていくのです。

         ───五井先生『内なる自分を開く─本心開発メソッド』

祈り

黙って私の合掌をみつめなさい
神の光の流れの中に
私とあなたのいのちの波が
柔らかく手を取り合ひ
一つの光の流れになって
地上から天上へ
天上から地上へ
往き交つている姿をあなた方はまだ知らない

         ───五井先生『ひびき』

真の自立とは

この世界では人に頼らず自分の力でいきてゆくことが自立と言われているけれど
本当の自立は守護霊と一体になること
それによって守護霊はお役御免となり
私たちは直接守護神のもとで働き天命を生きることができる

それが真の自立なのです

すべて自分で決めたこと

肉体は神様の最高傑作。なのに
現代人の脳は5%くらいしか開花していないのだそうです。
それはなぜかというと
今の地球人の魂のレベルですべて開花していると
何をしでかすかわからないから、
自分でそう決めて脳の大半を眠らせているのです。
そんなわけですべて自分で決めて現れていることなのだし
難しく考えなくてもうまくいくようちゃんとなっているのです。

なんでも思い道理になってしまったら面白くないでしょう。
ゲームと同じで制限があるからこの世界は面白いのです。
魂が鍛えられるのです。

魂の新陳代謝

肉体世界でこうなったら神様になった、ということはできない。神は無限の進化だから。けれど魂の成長するプロセス、人に寄り添い働くことに心から喜びを感じることができたとき、神であるということができるのかもしれない。
魂も新陳代謝している。細胞が新陳代謝して3月後にはすべての細胞が生まれ変わっているように、魂も潜在意識にある思いが現れて消えてゆき、神のいのちを戴きなおしている。心も自然の法則に沿ったとき、神性が現れる。

(2019/4/7 Fuji Sanctuary)

祈りの功徳

祈りによって霊化した魄要素(肉体)と神様の光がブレンドされて、地上には存在しない最小単位の物質「宇宙子」が作られ、これが世界中に配られて天変地変や戦争などをくい止めている。
祈り心があれば何をしてもよい。悪いことはできないから。

全託

なにか問題が起こったときには既に問題は解決している。ただ神界と違いここは波動が荒いため、成就するのに時間がかかる。せっかく治っても完成するのに時間がかかるため、この間に問題(病気等)と認めてしまうと問題として現象化する。認めるのは仕方がないので、通り過ぎてゆくまで待つ勇気が必要。祈り続けているとある時ぱっと孵化する。自分でやろうとするからややこしくなる。治らない。
しかし、神界のように思ったことがすぐに成る世界だと、少しでも悪い思いを出せば(憎しみなど)すぐに自分に返ってくる。よって現象化するまでに時間がかかるのもまた、神の愛である。

神様の中に不幸はない。神様は自分の本心である。神を信じることは自分を信じること。
神様にまかせきる。
全託しきればすべてに感謝できる。

一生祈り続けるという覚悟を決めればすぐに解決する。
それを1週間で直してほしい、と思えば3週間かかるし、10年で直してほしいと思えば、一生かかる。

世界維新

時代が人間を創る。
今は明治維新どころではない、世界維新の時代。
幕末の西郷さんや勝さんなどの大人物の心+人類愛を持った超大人物が必要な時代。
世界平和を祈る人はこの超大人物である。

意識改革

証をたてなさい
あなたが神である証をたてなさい
人々の希望であるために あなたは心の底から幸せでなければならない

貧乏も病気も本来無いもの
過去はない
意識で幸せを掴みなさい

(2019/3/17 Fuji Sanctuary)

神聖顕現

肉体を守ったからといっていのちを守ったことにはならない

肉体の思いを無くすこと
肉体の生活を守る思いを無くすこと
=いのちをいかすこと

空になれ
全託
無為にしてなせ
神聖顕現

すべて求めるものは同じ
しかし現実世界でそれを実践することは難しい
その手段が祈りであり「消えてゆく姿」の信念である

(2019/3/17 Fuji Sanctuary)

出家とは

肉体の世界を出ること 神界に思いを向けることが「出家する」ということであり
お坊さんになって頭を丸めることではない

(2019/3/17 Fuji Sanctuary)

世界平和の祈り

世界人類が平和でありますように
日本(祖国)が平和でありますように
私たちの天命が完うされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます

※この祈りは五井先生と神界との約束事で、この祈りをするところに必ず救世の大光明が輝き、
自分が救われるとともに、世界の光明化、大調和に絶大なる力を発揮するのです。

同行二人

私たちの本心は神そのものであるが
物質世界で自己限定してしまったために間違って放った
黒い想念(迷い、欲望、不安、悲しみ、嫉妬など)で覆われてしまっている

これを祓い浄め守るために守護霊が遣わされ
常に私たちと共にある
水が無ければ死んでしまう魚たちのように
守護霊様無しでは私たちは到底この世界に存在することはできない

今目の前に現れている現象も
過去に自分が作ってしまったもの
実在ではなくはかない夢のようなもの
今の私たちが争っているのでも迷っているのでもなく
ただ過去の過ちが
現れて消え去ってゆくだけ
それがこの世界の真実

私たちの想念がそのまま現れたら
到底私たちはこの世に存在することはできない
私たちの穢れのほとんどを肩代わりしてくださる守護霊様
そのお陰で大難を小難に変えて生きてゆくことができるのである

こちらから守護霊様に周波数を合わせれば
守護霊様と一体になることで一層守護の力が強くなり
私たちの本心も早く現れるようになる

どんなに忙しくとも
魂の親である守護霊様に感謝し祈る時間を持とう

愛すること

どんなに自分が正しくても
人を傷つけてはいけない

愛することが哀しい時があっても
愛しつづけてゆかなければいけない

国と国とが愛し合えない悲哀の時代にあっても
せめて人と人とは愛し合わなければいけない

真の宗教とは

祈りとは神性を開くこと
いのちを宣言すること
願望成就のためにすることではない
真の宗教の役割は
アメを与えて神に依存させるものじゃなく
自分で人生を作り上げていく
自信と希望を与えるもの

人間が真に自立できたとき
宗教はこの世から無くなる

(2019/2/3 Fuji Sanctuary)

神性を現すために

「頑張る」のではなく「確信を持つ」こと
周波数を変えられるようになること
これからは力(物質を運ぶ)ではなく波動を合わせることで移動するようになる

現実に対処するのではなく、未来を想像し創造する
過去を消そうとするのではなく
未来を見ていれば過去は自ずと力を無くす

(2019/1/13 Fuji Sanctuary)

個性とは

悟るとは本来の自分に還ることである
悟ったら個性が無くなるという訳ではなくて

こちらで作ってしまった思いの癖がなくなると
本質が現れてくる
本質にもいろんなタイプがある

面白いことばかり言っている人
やさしい人
厳しい人

悟ったからと言ってロボットみたいに無表情になる訳ではないから
心配いらない

無限と有限

肉体の人間なんて

背が高いといったって
お金持ちといったって
頭がよいといったって

五十歩百歩
いばるほどのものじゃない

神である私たちは無限の叡智と富を持っているのだから

小さなことに囚われず
ただ安心して
(肉体の)私を不幸にする神はいないことを
信じていればよいのです

自分を赦す

みんな心の中では
いいことをしなきゃいけないことはわかっているんだ
でもどうにもならないものが
自分の中に人々の中に充満している

今は欠点をいちいり掘り起してあーしろこーしろと言っている暇はない
お風呂に入って垢を落とすように
穢れをもったまま神様(祈り)の中に飛び込みなさい

祈りとは

祈るとは いのちを宣り出すこと
なんでもよい訳ではなく
自分の幸せだけを思う願いは低くて神様に届かない
チャンネルを合わせるように 神様の御心に叶う祈りがよい
みんながよくなるように みんなが平和であるように それが神の御心だから
『私たちの天命が完うされますように 世界人類が平和でありますように』
そんな祈りがいい
自分が辛いとき苦しいとき 助けてくださいでもいい 自分のことを願ってもいい
けれど必ず最後に世界の平和を祈りなさい

真の自己肯定とは

自分の中にある醜いものを肯定することなどできない
良心の強い人ほどそうだ
人の本質は善だから
(心が曇っていれば自分の醜さに気づくこともないだろう)

では真の自己肯定とは何か
自が善であることを信じ行動することを赦すことである
天命があるからこそいのちがここにある
天を敬い前進することである

天命を信じて人事を尽くせ

 生命(いのち)と肉体

肉体は空っぽの器
神界の私が動かしている

死んだら訳の分からないところに行くのではなく
本来の私が肉体の世界に手を伸ばすのをやめるだけ
もともといるところの私が現れるだけで
死など何も怖いことはない

死ぬときは
「肉体の私よさようなら
 神界の私よこんにちは」
と去っていけばよい

それだけのことである

 法則の神と救済の神

法則の神(宇宙神)には一部のおまけもない
間違いを思えばそのまま具現化してしまう
そうならないよう私たちには守護の神霊がそばにいて
私たちの業を8割肩代わりしてくださっている
あとの2割は 私たちの魂の進化のために
この世界で現して消してくださっている

守護の神霊とは先祖の悟った神霊であり 自分の本心と繋がっている
肉体意識の我が守護の神霊にいつも感謝を捧げていると
彼らと一体となり 天命完うのために生きることができる

 不動の心

苦しみはない あるのは消えてゆく姿
あなたの感情は判断は 常に正しい
金輪際疑うな

いのちの上に差別はない
いのちを喜びなさい
いのちを喜ばせなさい

(2018/12/2 Fuji sanctuary)

 人(ヒト)と人間

人間は肉体を纏った霊である
死とは「いのちを無くす」ことではなく
霊が「肉体」という衣を脱ぎ捨てることである
人間の本体はヒト=光のとどまるところであり神そのものである

地球は次元上昇している
今地球に存在している人は
肉体を持つものも持たないものもすべて
地球世界を完成させるために存在している尊い霊たちである

 統一

人間の本体は神そのものであるが
過去(世)に作った誤った想念が潜在意識に記録されており
本体を覆い隠してしまっている
本体の中に入る=神の御心と一つになることを統一という

統一するためには
まず自己の本体が神であるという信念を持ち
不安や恐怖などのネガティブな思いや現象が現れたら
これは消え去るものだ 必ず良くなるのだ と転換し
「本心さん(神様)ありがとうございます」と火に薪をくべるように投げ入れる
これを丹念に繰り返していれば 過去の過ちはいつかは消えてなくなる

そもそも業が現れるのは 内なる光が曇りを晴らそうとするから起こるもので
現れたときにはすでに良くなっているのである

人間は先ず自己の想念に責任を持つことだ

 天変地変を無くすには

地球は人間の吐き出した黒い雲(不安、恐怖、悲哀、憎悪…)で覆われている
地球が壊れないようにと 地球は身震いして黒雲を払い浄める
それが天変地変となり人間に返ってくる

天変地変は人災である

 川の流れのように

肉体の生死は永遠に流れる宇宙の大河のひとつひとつの波のようなものであり
波に掴われてはいのちが曇ってしまう
生きるとは肉体の生活をいうのではなく
生命の流れをそのまま損なわず生かすことである

悠々と

人間は
本心が生きている
肉体の自分は生かされている

本心から見れば自力(生きている)だし
こちらから見れば他力(生かされている)なのに

こちらの自分はまるで自分が働いているように錯覚し
浅はかな知恵でうっかり間違った選択をしてしまう
そして本来の姿が映ってこない
勿体ないことである

生かされていることに徹すれば
自他一体となり神我が現れる

ただ本心(=神)を思って悠々と生きていればよいのだ

コア(本質)を掴む

人間は浮かんでくる想念を自分自身だと思っているけれど
それは過去の残骸が消えていこうとして現れている姿
本心は宇宙一杯に広がる無限の心

臍下丹田(せいかたんでん)に意識を置いて
想念を掴まない
掴んでしまったら
これは消えてゆくもの消していただいているものと観じ
善念(必ず良くなる、大丈夫、無限なる調和…)に転換していくと
有限の想念はいつしか消えて本心の光明のみとなる

これを悟りの境地「色(想念)即是空(本心) 空即是色」という

責めてはいけない

良心に忠実であることはプラスであっても
そのために自己や他人を責め裁くと心が暗くなる
本来の神の姿から遠ざかってしまう

現れる言動行為は過去の思いが消えてゆくもの
光がマイナスの思いを消し去ろうとして現わしているもの
あなたの本体は純真自由な神そのもの

間違ったことをしたら
もうしないとすっぱり割り切って
消してくださった本心さんありがとうに転換する

神性を現すことがすべての人の天命